高校時代の弓道の思い出 (1986-1989)

目次

豊津高校に入学の際に弓道部に入部。理由 は当時の本音で以下の5点にある。

  1. 1 剣道ではいつも3位であったため、新しい 物で上位を目指したかった。
  2. 2 上位に入るためには他人と同じ高校から 始めるスポーツで無ければならないと思っ た。
  3. 3 やはり、心と身体を鍛える武道としての スポーツで無ければと思った。
  4. 4 剣道のように武器を使用するスポーツに 興味があった。
  5. 5 入学の際の弓道のデモンストレーション が気に入った。
今から考えると正に子供っぽい発想ではあ ったが、本人は真剣そのものであった。
我々の代は豊津高校弓道部創立5代目であり 、2年生の時は部長を努めた。
道場とはいっても 広場に砂をもった程度の 安土しかなく、雨が降る度に 図書館の屋根 下での巻藁練習といった非常に簡素な道場 であった。夏休み或いは昇段審査前は自転 車で約45分の地元の道場での稽古・或いは体 配を行った。日頃の練習では毎朝1時間、昼 休みと放課後の3・4時間で100射以上、又週末 、夏休み時期は200射以上射込みを行った。
担当の先生は非常に忙しく、稽古へはほと んど顔を見せる事がなく、試合の時に引率 として来られるのみであった。我々の代か らようやく、北九州地区大会で男女共 常に 好成績を収め、個人・団体共に県大会へ駒 を進めるようになり、次の後輩の代では全 国大会へ進むまでの成績を収めた。
この事もあって現在では立派な道場が建て られたのだが、最近は試合で全く良い成績 は出ていないとの事を後で先生に伺った。
高校3年生の春の試合まで約2年間 弓道の練 習(あえて稽古ではない)に励んだが、 後半は早気(会に収まる前・引き込む前 に放してしまう)に陥り、努力報われず 早気のまま最後を迎えた。
2年通算で約6万射をもって好調時は90%以 上の的中率であった。その後はドイツで 再び始めるまでに10年間弓から離れて いた。

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