2024年名古屋セミナー

名古屋で開催された国際弓道連盟主催のセミナーに参加したときの感想をまとめて見たい。今回は前回2023年のフランスで行われた称号者対象のセミナーでの指導と内容は同じで、主に大三の位置と手の内の作り方と働きについての指導が中心であった。前回説明がなく、今回初めて会ったのは、大三では矢の延長線上に脈所が来るようにということであった。これについては個人指導でも指摘があった。

射技について

初めの射技指導では大三での右肘の張りについて指導された。自分なりに射に良い影響を与えるためにはどのようにしたら良いか、再現性を高めるためにはどのように表現すれば良いか考察して見た。まず肩根は押さえたまま右肘を張り上げて前腕をほぼ水平になるようにする。(右の前腕と上腕の角度を狭めるように)両脇を張りながら両手を体から拳一つくらいまで近寄せながら両手首を真っ直ぐに伸ばすと前腕の外側の張りを感じることができる。この張りを活かすためには肩甲骨(両肩の線)を矢に近づけるように体の前方に開きながら右肘をたたみつつ引き納めることが重要。

次に取り掛けの形が会に収まる直前に握り込むように変化していることを指摘された。気をつけてよく見てみると、右手の握り込みだけでなく、左手も握り込んでいるのがわかった。これはしがみつきになり伸びを止めてしまうことにつながりやすい。右手の形を変えずに伸び合うと残心まで止まることなく伸びれ離れが軽くなることが感じられた。

その次は頬付けの位置を下げるように指導された。元々高い方が下筋が使え伸び合いから強い離れに利点ありと思っていたが、両肘を下げることで体との一体感と体重を弓と弦にかけやすいことが体感できた。特に引き分けの最後に縦線を伸ばしながら行うと、両肩甲骨が自然に下方へ誘導され、矢束が取りやすく、矢が下に収めることが容易にできた。体重が上手く弓にかかると弓を握っているという感覚が少なくなり、体で弓を押さえているようで、離れで弓手がブレない。体の後方で弓を引き寄せるのではなく、体の重みで弓が体によってくる感じになり、体の前方を矢筋に開く感覚があった。

最後に打起こしで両肩が上がる点については、円相が崩れるだけではなく、両脇の張りが抜けてしまうので、上肩を体前方に保持し(体に寄せない)脇の張りを意識すると大三へ移行しやすことが分かった。

今回は昔な意識できなくても出来ていたことがいつの間にか出来ておらず、指導を受けて意識してできるようになった事が良かった。無意識で出来ているときは再現性がなく、意識して繰り返しできることが重要である。

体配での注意点

元弭を膝頭に乗せると袴によってはヒレの内側に入ることがある。膝頭の外から乗せると良い。

矢を番える時に筈が見えないように番える。

肌脱ぎ・肌入れが終わって開き足にて的正面に向きを変えるときは右手で2回に渡って弓を左手に差し込む。

肌脱ぎで脇を寛げたあとは肘を張ったまま斜め方向で伸ばしながら袖入れを行う。

左の袖先を袴の下から差し込み、左へ送って先が見えないようにする。

一つ的射礼での留意点

射位から本座へ下がる一歩目は小さく体制の崩れないように。

初めの一歩があることが重要でその後の歩数は合わなくても良い。

射礼では替弓は行わない。(弦ギレ、弓破損等)但し審査の場合は替弦、替弓を行ってもよい。

2人で行う一つ的では、定めの座、本座では1.5人分の距離を取る。乙矢からは通常の2人分の距離を取る。

本座で弓を替える時は、介添えは下から取ると指導された。以前は下から入れて上から取ると指導された。特に弦と一緒に弓を取る場合は上からでしか取れないと思う。

2023年欧州講習会において

この度は2019年からコロナによって中止されていた国際弓道連盟主催の欧州講習会がフランスのパリ近郊のNoisiel市の弓道場で開催された。主任講師は加藤先生範士8段、国際弓道連盟会長の宇佐美先生範士9段がセミナー後に開催される昇段審査(3段から5段まで)指導ということで派遣された。今回はセミナーでの主なテーマと個人的に感じたことを記載したい。

加藤講師による重要点

1.大三での注意点は2つ、①矢束は半分以内にとどめること、②弦かかりは顔の前面に置くこと。(個人によっても理想の位置は違う)

2.弓構えの注意点2つ、①右手で弦を取る際は一旦筈まで運び手首を矢の延長線上にそろえた後取りかけを行う。(会での最終形の位置で取りかけする)、②左手で弓を持つ際は左手首をやや外へ曲げて天文筋が弓の外竹左に当たるように手の内を整える。

3.大三での手の内の注意点は5つ、①左手を弓に対してYの字にあてがう、②親指の付け根(指と手首の間・第一中手骨)をできるだけ弓に対して真っすぐ(直角)に保つ、③手首の骨(尺骨と橈骨)を縦に重ねる、④親指と人差し指が水平(ペンが乗って落ちない状態)、 ⑤弓が掌根で3分の2程度かぶさる。(外竹が天文筋によく当たっていること)

個人的な射術の修正点

打ち起こしで羽引きが広がる。左腕の無駄な力を抜く。

大三で引きすぎる、右手首に力がはいっている。矢の延長という気持ちで押手に右手首を引かせる。(幽霊のように手首をぶら下がった状態で引き分ける)同時に上腕、肩甲骨の周りも脱力して弓の力が押手首と勝手肘で感じられるようにバランスをとる。

引き初めは右肘リードで目通りを超えるあたりから両脇を使って体の重みを弓に伝える(体を弓に割り込む)会に入るまでは相応の力で引き分け引き分け後半で伸びてしまわないように気を付ける。

会では両手首(矢)と両鎖骨(肩の線)が弓の力で平行に重なるように伸びる、両肩甲骨を前面に押し出し(体全体が弓へ入る)弓の右側の張力を使って離れを誘発する。

総括、力で修正すると力みが生じ、外からみた形は修正できても身体的なバランスにはつながりにくい。修正は余計な力を抜いて身体全体で修正された点を感じられるようにしなければならない。

その他学んだこと

弓を執っての入退場では上座に意を注いで礼または揖を行うが、それ以外に射場から控えの間での移動では礼または揖の必要はない。射場係で替弓等行う場合も入退場で礼は行わない。

射場へ入場するときは場に対しての礼、定めの座では脇正面(上座・または上座にいる人)に対しての礼、本座では的に対しての礼であるため時と場合に応じて気持ちを込める必要がある。

射手が立射で矢渡しを行う場合は両介添えも定めの座では立ったまま脇正面に対し礼を行う。

第二介添えの座する位置はおおよそ的と左の壁を3つに割った壁から3分の1の位置とする。(的場の広さによっても違う)

介添えの心持について

今回も全く私的に介添えの心持について解説をしてみたい。弓道では矢渡しや納射等で射手が一手を引く際に、二人の介添えが付くことが通例となっている。弓道に限ったことではないが、動作自体よりも心の持ち方の方が重要であるとよく言われる。特に介添えは主ではなく従に転じ、射手をいかに引き立てるのかが重要となってくる。

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コロナ渦での稽古(葛藤日記)

昨年2020年11月からほぼ6ヶ月はクラブ活動ができない状態であったが、ようやく今週からコロナテストを事前に受ける事と人数制限を設けることによってクラブ活動を再開する事が可能となった。

6ヶ月の間道場を開放して個人的に稽古を行うことは認めていたため、弓暦の若い人が多いので癖がついたのではないかと心配していたが、思った以上に健康状態であったので安心した。これは個人練習で1日最大1時間かしかかけられなかった事で、矢数をかけていなかったとことに起因していると思う。

この期間は普段使用していた2張りの弓が故障し、仕方がないので通常よりも5kgほど強い弓と5kgほど弱い弓を使って稽古した。不幸中の幸か不憫な状況では通常求めてできない事が体験できたと思っている。具体的には、寒い冬に強い弓をいかにして引きこなすか、弱い弓に対して如何に相応の力を使って最大の効果だすかと課題を与えられた事である、ちなみにカケも同時期に変えての稽古であった。

ここ数年は一手ごとに違う弓や矢を使用して変化に対応する技術を習得していたせいもあり、的中に関してはあまり変わらないが、内容は劇的に変わったと感じる。不思議なことに自分の射をビデオで見ると体感では良くなっていると思われるところ(無駄な動きや力の働きの変化が少なくなっていて効率と効果が上がっているように感じる)は外から見てそれほど良くない(弓の力が最大に矢に乗っていない感じ、または弓の復元が冴えていない感じ)と見えることである。体感では理想の方向に行っていると言う自覚があるが、外から見て理想的でなくなっていると言う矛盾が生じている。そういった意味では何かを会得しつつある過程であると確信している。これがいわゆるコンフォートゾーンの外にいる状態であると思い、更に1射毎に感覚と結果の乖離を狭めていきたいと思う。

現状を俳句にしてみると

「弦音よく 素直な矢を見送るも ビデオを見ると力足りなし」

「良い射とは 良射をするよう努力せず 結果として出来た時なり。」

コロナ渦での弓道の稽古「術」と「道」について

2020年11月からコロナウィルス拡散防止策としてスポーツクラブ活動は禁止された。これを受け個人道場も例外ではなく、クラブの稽古は今のことろ1月10日まで行うことができない状態である。個人的に行うスポーツは制約がないので、希望者に道場を解放して安土の準備道場整備をきちんとすると言う条件で各自が都合の良い時に弓を引いてもらっている現状だ。

当の本人は自宅に道場があるので好きな時に好きなだけ引ける条件はあるのだが残念ながら活用できていない。クラブの稽古の様に定期的に行われれば自分の稽古に加え、参加者への指導もあるので参加するが自分の稽古ためだけはどうしても腰が重くなっている様だ。但し、弓矢を採っていないので稽古は全く行っていないかと言われると、きちんと稽古を行っていると思う。

ここからは私的な考え方になるが、弓を引いて的に向かって矢を放つ行為は「術」として鍛錬をすることにより的中の正確性、貫通力、弦音の冴、矢飛びの鋭さを向上させることである。ただ「道」として考えた場合は、弓矢を用いて自分の身体を覚醒し、場を掌握し自然界の摂理を理解し、体現し、社会に良い影響を還元することではないかと思う。

この様に目的によって弓を「術」を磨く手段として使うか、「道」を極める手段として使うかによって違ってくる。

「道」を極めるためであれば弓がなくても日頃の立ち振る舞いの仕方、場の掌握、周りや相手への配慮等いくらでも稽古の場はある。この様な日常を「日頃」とし、弓を引く時を「晴れの日」と考えると、弓を引かない日頃を稽古とし、弓を採って矢を引く時は稽古を活かす晴れの場となるのではないだろうか?

しかし、上記の様な相乗効果を生み出すためには長年弓を引かないと感覚的には解らないであろう。当然であるが初めは弓・矢の操作方法を学び的中を覚え、試合等で楽しみを得て、昇段審査を稽古の励みとしながら年数にして5・6年くらいだろうか、レベルにして3段を超える頃から弓の稽古の上達のためには心の持ち方が重要であると気づく様になる。個人差も当然あるが10年を超える頃から日頃の生活習慣が弓に及ぼす影響が大だと気づく様になる。この辺から渾然一致としていわゆる射即人生が始まると言えるだろう。

特に現代ではプロとして弓を引いて指導している人は皆無であろう。我々一般人が趣味として行っている現代弓道であるからこそ、少ない時間を使って弓を引き、日常に最大活かせる様に活用する様にした方が良いと考える。コロナ渦で弓が引けなくとも大いに稽古の場を設けて欲しい。

良い離れとは?

離れとは結果であって故意的動作でないという説明がある。これには色々な異論もあると思うが、理想的にはそうであると想像はできるだろう。我々のレベルではまだまだ有念有想で矢頃で離れを出している。ここで、意識的ではあるがでは良い離れはどうであろうかと考えてみたい。

離れは軽妙な離れが良いとされているが、これは究極の離れを第三者が見て表現をしているのではないかと想像される。これは推測に過ぎないが、弓を引いている射手からは全身全霊を用いての離れの結果であって、決して軽くは離れていないと思われる。ただ外から見て作為なく(作った離れでなく)二念なく(止まったり急な離れなく)引っかかることなく(糸が自然に切れるように)離れが無理なくスムーズに出たという現象の比喩として使用していると思われる。

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斬れ味を考える

コロナウィルスによるクラブ活動の規制により3月13日から5月12日までの2ヶ月は道場での稽古は禁止された。その間は社会全体が多くの活動を自粛する風潮があり、規制前までには週2日の稽古が、規制中は週1日ほど道場での自己研修となった。ただし、少ない稽古時間でも今回は今までにない試みが体験できて良かったと思っている。

稽古前の準備体操として木刀を振るようになった。昔のように体力・気力で振るのではなく、逆に体力・気力を最小に抑えて振る方法を模索して行なった。弓を引く際も同様に如何にして動作・力の働きの無駄を無くすかに注視しながら行なった。これらの稽古は意図的に行なったものではなかったが、一週末に徹底的に武道に関する動画を見て、達人の動きを抽象的に眺めているうちにいくつか気になる事柄が出てきた。

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2019年欧州講習会

2009年から10年後に再びフランクフルトで欧州講習会が開催された。今回はグループ内での通訳とセミナー及び審査でのコーディネート役として参加した。

セミナー中は毎朝参加者の一人が全参加者を代表して 射法訓・礼記射技の朗読を行った。これは、 全員そろって 今から射へ臨む心構えを神前へ向かって誓う意味があると説明を受けた。

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現代の武士

12月の第1週目は例年ベルリンでの講習会で講師としてセミナーを行っている。過去4年連続で主に体の使い方をテーマに行ったが、主催者側が今後少し違ったテーマを他の講師の先生に頼みたいとの意向で、とりあえず最後のセミナーとなった。

休憩中に思いがけず参加者から「え、先生日頃会社で働いているのですか?てっきり専業武士かとおもっていました」と言われ、思わず「会社で仕事している時も武士です」と答えた。

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何故弓の構造は16世紀頃から変化がないのか?

弓の構造は丸木弓から始まり、竹と木の合成が 平安時代頃から行われるようになったらしい。現在の弓胎(ひご)弓の構造は戦国時代末期16世紀の終わりごろに完成されたと言われている。では、何故和弓はそれから5世紀も立っているのに形や構造に変化がないのであろうか? この問題について私的な考えを述べてみたい。

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