22.09.2006 打ち起しと引分け
現在の射法八節の原形が出来上がったのは、江戸時代の通し矢が全盛の時代であったと思われる。通し矢の名手であり、その後多くの通し矢の射手を育てた吉見順正の射法訓が現在でも射法の基礎となっている事からも伺える。又、日置流流祖である日置弾正政次の絵からも見られるように、矢が頬付けでなく乳付けである事から、戦場の射法は現在のそれとは異なっていたと思われる。
昔戦場では、兜と鎧に妨げられる事から、やや短い軍用の弓が試用され、矢束も洋弓に近く短かったと想定される。この射法は歩射の原形であるが、その後時代と共に射法も変遷された。
堂射と呼ばれる射法の成り立ちは、元々三十三間堂での通し矢が盛んな時代にさかのぼる。通し矢とは、24時間以内で三十三間堂の軒の下を射通す競技である。軒の高さは約5mであり、幅`約2mの制限がある事から、120mの距離を射通す為には、40kg台の強弓で、弓の下が短く(強く)やや上向きに仰角をつけて射られていた。射法も強弓で24時間という長時間に耐えられるように、腕のみの力で弓は引かれず、体に弓を預ける射法が成り立ったと推定される。体に弓の力を預ける為には、両腕・肘が出来る限り両肩の線に近い位置に収まる事が必要となる。右腕だけでは、強弓はせいぜい洋弓の様に顎までもっていくことが限界で、少ない力で効率的に右肘を肩の線までもっていく為には、弓を上から均等に開く必要があったのではないかと思われる。このような射法では矢束が長く、矢が頬についている為に矢を通して的付けが出来ない。速射で狙いを定める為には、体で狙いを付ける必要がある。その為に三重十文字・五重十文字の規定が制定されており、これが正射正中の土台となっている。よって正しい姿勢で弓を引くと、自然に矢は上方からみて足踏み(膝の線)の線に乗っており、矢は的に向けられる。
各流派の特徴
ここでは現在の正面・斜面打ち起しの基となっている5つの流派の引分け方法を記載してみたい。これらの流派も時代に合わせて射法が変遷されてきた事と、各流派内でも系統によって射法が変ってきたと言えよう。
<本多流・大射道教>
正面武射系の基で、明治・大正・昭和時代にできた新しい流派。元々は日置流竹林派・諸派の流れを組んでいる。基本的には堂前の射法から健康面を含めた現在の的前(近的)に合ったの射法へと変遷した形をとっている。かけは角入り4つかけを多く試用している。正面に弓を打ち起した後、引分けは日置流の打ち起しの位置(大三)で一度止めた後、会へもっていく。
<小笠原流>
正面礼射系の基で、流派としては約900年の歴史を持ち、元々は騎射の射法が基本となっている。特徴として控えが柔らかい諸かけを試用している。引分けは大三の位置を通過するが、止めずに直接会へ持っていくのが特徴。
<日置流竹林派>
斜面武射系の基で、元々は堂前の射法である。特徴として押し手かけと堂前角入り4つかけ、又竹林かけといわれる的前角入り3つかけを試用している。やや左側で弓構えをとり、羽引きの後、引分けながら大三の位置へ打ち起し、途中止めずに会へ運ぶ。
<日置印際派>
斜面武射系の基で、元々は歩射の射法である。特徴として、3かけを試用している。竹林派の弓構えの位置から弓を左へ押し開き(矢の約半分)、その位置から上記の大三の位置まで打ち起す。引分けは、竹林派と同様に直接会の位置へ持っていく方法と、江戸末期から明治初期に浦上直置が考案した浦上系は三分の二を取り、その後会へ持っていく。矢は頬骨の下に乗り、口割りよりも高い。
引分けの弦道と矢束
一般に言われている弦道は右手の軌道を示しており、各流派で打ち起しの方法が違うものの、大三の位置から見ると、引分けではほぼ同じ軌道を通る。
<大三の矢束>
一般的に大三の位置では矢束の約半分を引き取っていると言われているが、個人的にはそれよりもやや長いと思われる。実際は矢の長さ(矢束に5-6cm足したもの)の約半分をとっているのが一般的である。三分の一は、矢束を90cmとすると約30cmを引き取り、これに弦の高(15-16cm)と羽引き(2-3cm)を加えた約48-50cm程度である。
<三分の二の矢束>
三分の二は、矢束を90cmとすると60cmなり、これに弦の高さ(15-16cm)を加えた75cm位になる。
よって三分の一では約30cmと引き、三分の二では更に約30cmを引き、会では残り15cmを引き取ることになる。脇正面から射手を見た場合、大三(三分の一)の位置から三分の二を通り会までほぼ均等に矢(両手)が左右に開かれつつ下方へ降りてくる。A1とA2はほぼ同じ距離。
図の説明
斜面打ち起しでは、正面の大三の位置(肘R/L2の位置)が打ち起しの位置となる。
記載の数字は大よその目途とし、実際は射手の手の長さ、大三の位置、骨格によって異なる。
両腕の動き
正面・斜面何れで弓を打ち起した場合でも、上記の様に両肘は肩を中心に体から同一距離で、円上の軌道を通る。よって実際には両肘(腕)が弓を左右に開き、動作の中心は胸筋となるのが分かる。これが胸割りにつながる所以であると思う。
大三から会までの両肘の移動距離は左1に対して右2の割合となっており、肩から左手と右肘までの距離は左2に対して右1の割合となっている。この事からも実際には両肩と両肘にかかっている力配分はほぼ同じであると考える。肩から見た両腕の開き角度もそれぞれ脇正面・上方から見てほぼ同一である。
ここで注目したいのは、三分の二での両肘・両手の位置である。両手は基本的に常に脇正面から見て水平であり、上方から見ても体の線に対して平行となっているが、両肘は移動距離が異なる為に大三と会の位置は異なっている。しかし、三分の二の位置では両肘も水平で、体に平行となり、体の中心と結ぶと二等辺三角形となる。よってこの位置で一端止める日置印際派浦上系の射法は、弦道を安定させる為に有利であると言える。
開く射法
この様に体の中心を意識し、肘を中心に左右に弓を均等に開くと弓の力を体で受けることができる。又左右均等に弓を開く射法は上記の様に、どの位置であっても常に左右のバランスが取れており、体で狙いを付ける事が可能となる。ここで注意したい事は、両肘を単に斜め下へ運ばないことである。両肘は大三から会まで常に矢筋に開かれる。両肘・両腕が肩に固定されている為に、上記の円上を斜め下に移動する。通し矢時代の堂前の射法、即ち吉見順正の射法訓は現代の引分けの基となっていると思われる。
まとめ
現在では元々歩射の距離であった15間(28m)の近的での稽古が主流となっており、堂射の引分けの射法が受け継がれてつつ、健康面を含めた正体(中胴)での射法が基本となっている。これは時代の変遷と共に、射法も変遷してきた事を示しており、又弓道修行の目的・理念も変化してきたと言えよう。今後は各流派独特の射法の研究と共に、現在の弓道の目的にあった現代風の射法へと変遷されていくであろうから、日々の稽古で常に工夫・研究していく必要がある。
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