武道では昔から「良師は何年かかっても探さなければならない」と言われる。前回一流と二流の違いでも書いたが、自らが一流になりたければ、一流の師の行動パターンと思考を盗み取ることが重要である。ここでは、個人的な師匠についての考え方と自分の経験をまとめてみたい。
既に20年以上たつが、1998年にフランクフルトで弓道を再開した時は、周りの人が皆、日置印際派の流れをくむ射法(以下印際射法)で引いており、自分一人が正面打ち起し射法 (以下正面射法) で引いていた。初めは昔とった杵柄で、とにかく巻藁前で繰り返し繰り返しの稽古である程度の弓を引く感覚は戻ってきた矢先、たまたまクラブの人の紹介で、南ドイツで正面射法の先生が講習会へ来るので参加してみればとの誘いがあった。
確か1999年の秋であったと記憶している。この講習会に来られたJ先生は、欧州では最初に6段に合格された先生で、無駄のない洗練された、柔らかく軽い離れから放たれる矢は、早い矢飛びで精度の高いものであった。初めは、あまりにレベルが違いすぎるので、当然その射の評価は出来きるはずもなく、何が凄いのかが表現出来ないくらい感銘を受けた。後になって少しづつ分かったが、弓を引いたというようりも、空間全体を使ってご自分を表現された感じであった。これも後で知ったことだが、先生は、職業として詩や音楽を創作されている。我々が感じる先生の空間描写は、先生の創作された弓による詩や音楽ではないかと思う。この先生は早くから古流に興味を持たれ、直接日本の流派との接点をもっていたが、欧州弓道連盟から脱退されてからは、それが更に加速され、益々熱心に勉強、稽古されている。現在ではある流派の欧州の重鎮として各地で講習会を行っている。
ほぼ同時期に、フランクフルトのクラブでは、年一回R先生を講師として招き講習会を行っていた。自分もその誘いを受けて講習会に参加することになった。その先生は印際射法で引かれていたが、ダイナミックな引き分けから、伸び合いでの気力の充実、力強く放たれる矢に圧倒された。その時は良く分からなかったが、振り返ると、全身全霊の射とはどうゆうものかというものを体現されていたように感じる。又、エネルギーの絶対量だけでなく、エネルギーの集中度(弓・矢・的の貫通力)は、空間にあるブラックホールのように、周りのエネルギーも一気に集めるくらいの重力があるように感じられた。現在は大会社の役員として世界中を飛び回っていると風の噂で聞いた。ほとんど引かれていないのではないかと思う。そのR先生の先生は95年に亡くなっており、それ以来、R先生はかなり自身で模索を繰り返して殻を破られた時期ではないかと思う。初めて会う数年前に錬士に合格されたばかりで、そのころの的中率は9割くらいであったと思う。
当時は中古のグラス弓にアルミの矢を使用しており、両先生が竹弓を使用しているのを見て、2002年に竹弓を購入し、翌年2003年には竹矢を購入することになった。(不思議と、両先生はアルミまたはカーボンの矢を使用されていた)2005年に錬士に合格するまで、3つカケを使用していたが、(1年以上前に注文していたカケがたまたま審査後に出来上がってきたのではあるが)それ以降、J先生が使用されている4つカケに変更した。又、欧州セミナーに来られていた日本の先生方の大半が4つカケを使用されていたこともカケを変える動機となったと記憶している。これらは、単に真似をしたに過ぎなかったのではあるが、道具の変化は射を改めて見つめ直す良い機会となった。
一般的には独り立ちできるまでは、一人の師の元で修行を行わなければならないと言われている。自分の場合は師というよりも、どちらかというと2冊の座右の書とでもいうべきものであろう。今でもこの両先生を(本人には伝えていないが)師と仰ぎ、稽古をしている。 また両先生に共通している事は、現状に留まらず、自ら常に挑戦し、変化し続けている事である。 後で聞いたことだが、両先生共に(当時)20数キロの弓を引かれており、弓の強さはほぼ同じでも、射手により矢の出方、空間に表現される印象がこうも違うのかと、今でも驚く。当然ではあるが、当時に見た射の印象というのは、当時の弓道のレベルの差を含めてであるので、現在同じ射を見ても、同じ印象はありえない。これは、6歳の小学生が50歳の大人を見たときの印象と、自分がその年になった時に同世代を見ている印象と似たところがあるであろう。しかし、幸運なことに、当時の印象はこのレベルの差があることによって、いつまでもたどり着くことのできないものともなりうることである。これは自分のレベルが上がれば上がるほど、その印象の度合いも平行線で上がっていくというこである。
これは全くの幸運であるが、弓道を再開して間もなく両先生を知ったことは、自分の現在を作った基礎となっている。普通は良し悪しの判断が狭くなりがちで、自分の知っている範囲以外は判断がしにくい為、見ないようにするか、悪いものと判断する場合が多い。反対に方向性が大きく異なる2つの師(あるいは座右の書)を持つことにより、どちらも正と思うが、その両方の間も正であるだろうということである。これは言い換えると、一見反対のようであるが、対立しておらず、或いは元々が対立しているが、お互いに真であるということである。そうすると、初めから大きな範囲の正(真)があるという前提で弓道を見ると、なるほどこのような引きかたもありか!、こんな弓もありか!と気づきと発見の連続となるが、反対に自分の正(真)を狭く設定すると、それ以外は、自分の正の位置と範囲を肯定する(守る)ために、それ以外を否定することから始まることにつながりやすい。
J先生の洗練された流れるような動作から自然に放たれる、軽く、早く、正確な矢飛びと、R先生の鍛錬された無駄のない身体操作から気迫とともに放たれる、力強く、貫通力のある、正確な矢飛びは、現在でもそれぞれ独立して、自分の憧れの射であり、またお互いそれぞれ両立しつつ包括された射というものはどんなものであろうか?それを自分の身体を使ってどのように表現できるか?これが現在でも終わりなき真の探求の方向性になっている。
2009年を境目に、それ以降は両先生に会う機会も少なくなった。この間は、転職、転居、クラブ設立、道場建設と人生の岐路、節目となり、守破離でいう、殻を破り自らの力で進む時期に入ったのではないかと思っている。今後は、師への恩返しの代わりに、師から教わった事を、後進に伝えてゆく役割を頂いたのではないかと思っている。しかしながら、両先生が生涯にわたって弓道の師であることは変わらないであろう。改めて、両先生の出会いに感謝している。