今回も全く私的に介添えの心持について解説をしてみたい。弓道では矢渡しや納射等で射手が一手を引く際に、二人の介添えが付くことが通例となっている。弓道に限ったことではないが、動作自体よりも心の持ち方の方が重要であるとよく言われる。特に介添えは主ではなく従に転じ、射手をいかに引き立てるのかが重要となってくる。
時間差で空間の広さを調整する。
介添えは通常射手の動作に合わせるためにやや遅れた動作となる。このやや遅れる時間を調整することで、場が広くなったり狭くなったりする。例えば狭い道場で行う場合は射手よりもかなり遅く動作をすることで(時間差が広がる)狭い場が広がる。逆に広い道場で行う場合は射手との時間差を狭めることによって場が引き締まるように場をデザインできる。
矢の受け渡しについて
矢の受け渡し時は唯一射手の動作が止まり、両介添えが射場で動作を行うため気を付けないと介添えが目立ち、射手を引き立てることができない。ではどうすれば射手を引き立てながら場を乱さないようにすることができるだろうか?ここでもやはり気持ちの持ちようが重要になってくる。第二介添えも第一介添えも射手の矢に接する場合は射手の一部の大切なものを確実に正確に運び射手にお返しするという気持ちがあれば一動作ごとに矢の埜の持ち方(深く持つ)や羽コギを行うときも自然と表面を優しく取り扱う所作になる。特に道場の端での矢の受け渡し時には第一介添えは第二介添えに対し揖を行うが、「矢を無事に安土より返しご苦労様でした」という気持ちで行うと相手にそれが伝わり、第二介添えはそれにこたえる形で第一介添えの頭が上に戻ってくるタイミングで矢を縦に立てて「矢は完全な状態です」と心で伝え、羽コギして矢を差し出す。第一介添えが矢を腰にとった時には第二介添えは「では矢を無事に射手へ返すようよろしくお願いします」という気持ちで揖をおこなう。第一介添えが射手の後方に座して斜め前に進むときも上座(または場)に対し「完全な状態で矢をお持ちいたしました」と伝え、羽コギして射手へ矢を渡す。このように各動作に気持ちを込めることで場に真心が伝わり、射手の大事な矢を丁寧に射手に戻すことができれば射場で変に目立つことはないと思う。
見えない存在感
射手が一人で行射を行う場合と、介添えを付けたときの違いは何であろうか?前者の場合は介添えが場を壊すリスクはないが、射場、矢道、的場を含めた広い空間全部を使っての行射はできない。介添えは目立たず射手の補助(第一介添え)を行ったり、矢を的場より射場へ持ち帰る(第二介添え)以外の任務に、見えない存在感が必要になると考える。見えないとは目立たない所作で、存在感とは息合いに合わせた両介添えの気合が射手に注がれ、射手を通してより3人分の気合を広い場(射場、矢道、的場)に放出するという気持ちではないかと思う。
なぜ介添えは存在するのか、どんな役割がありどのような心構えで所作を行うようにするのか意思をもって行うか否で大きな違いがでると考える。外見は目立たず場の一部に包括されているようだが、気合で場を盛り上げ真心をもって射手を引き立てることができれば成功といえると思う。