今回は、数年ある段位に挑戦して合格できない弟子に向けて「弓の志」についての言葉を贈りたく書いてみた。
本人は弓歴10年を超え、今では数年程クラブで初心者の指導をしている。ドイツの大会でも個人、団体と好成績を収めており、試合の結果や、的に当てる射術、また体配共にレベル的には到達していると本人は思っており、何故合格できないかわからず迷いながら稽古を続けている。
話を聞いてみると、「離れが直ではない為に不合格になった」らしい。そうすると稽古の全目標が「審査に合格するため」に、離れを直にするための努力をするという。
しかし、本当にそうであろうか?見た目きれいに素直に離れた様に見せて、本当に審査に合格できるであろうか?見る人が見れば「審査に合格するために離れを直に整えました」と訴えかけるような射を見せつけられてどう思うだろうか?自分も昔はそうであったが、まさか審査員はそういった心理状態まで見透す事は出来ないだろうと信じていいたが、実は丸見えだということが分かり始めてきた。
もちろん真意は分からず、憶測でしかないが、なぜか不自然で偽りの射としか感じられない。まとめよう、よく見せようといった心持があからさまになっている。それだったら中て気満々で全身全霊を尽くした末の的中のほうが遥かにマシである。(審査では不合格となるかもしれないが)
私的には、審査に関わらず、見る人が見れば射を通してその人の「弓に対する志」が見えていると思う。正しい志に基づいた稽古はたとえ数年間審査に合格できなくても、自己の信念をまげず必ず壁を乗り越えることができるだろう。またそういった正しい志があれば、たとえレベルが足りなくとも少なくとも「いい射だった、大変惜しかった」という感想になるだろう。
古来中国では人間の人格を図るために弓が用いられたと言われるが、正に射は心の鏡である。果たして自分の鏡は正しきを映しているだろうか?と問いながら次の一射へ向かう。